年 | 活動・出来事・来日等 |
1922年 | 4月29日ベルギーのブリュッセル生まれ。 |
1925年 | 小さなアコーディオンを弾いていた。 |
1929年 | 映画「ラモーナ」を見に行って、家に帰って主題歌を弾けるほどに。 |
1939年 | 映画で囚人が死んでいくシーンのバックのハーモニカを、聴き鳥肌が立つような感動を覚え、ハーモニカを始める。 |
1942年 | 大学在学中。バンドにハーモニカで参加していたが、「ちゃんとした楽器もやったら?」といわれギターを始める。 ジャンゴ・ラインハルトの影響ではじめたという説もある。 |
1944年 | 駐留米軍のクラブなどで演奏するようになる。 |
1947年 | 渡米 |
1950年 | ベニー・グッドマン・グループでヨーロッパツアー。ロンドンのパラディアム劇場で本格的なステージ出演 |
1952年 | アメリカ移住 |
1953〜59年 | ジョージ・シアリング・クインテットで活動 |
1962年 | 口笛とギターの「BLUESETTE(ブルーゼット)」がヒット。 この曲はギターのチューニングをしながらハミングしている時に、同じ楽屋のステファン・グラッペリが「ぜひ楽譜に書き取りなさいといった」のでこうして残った。はじめベルギーの小さな青い花ということで「ブルーエット」と呼んでいたが、スエーデンのあるプロデューサーが「これはブルースの曲だろう、ブルーゼットにしよう」と言ったので「ブルーゼット」になった。 |
1963年 | ABCテレビのスタッフミュージシャンとして活動。 |
1969年 | セサミストリート放送開始。テーマ曲を作曲。 |
1969年頃から | クインシー・ジョーンズのバンドに参加 |
1972年 | ソ連公演 |
1975年 | スイス、モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演しミルト・ジャクソンと共演 |
1979年7月 11月 | 単身で初来日、ピットインでビッグバードとのライブ・レコーディングや松岡直也、上田力のレコーディングに参加 |
1981年7月 | クインシー・ジョーンズ・バンドのメンバーとして来日 |
1982年8月 | ジャコ・パストリアスのビッグバンドのメンバーとして来日 |
1985年1月 | ケニー・ドリュー・トリオのコンサートにゲストとして来日 |
1989年2月 | 来日 |
1990年6月 | 東京新宿インディゴブルース |
1991年11月 | ブルーノート東京 |